チャーリー横山の「神仙道宝塚」、無為自然の道(タオ)を歩んでください。

無為自然の道(タオ)「神仙道宝塚」
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神仙道とは
神仙道とは

まず、神仙とは古代中国で「生死を超脱した存在」のことであり、神仙道はその神仙となるための修行法です。 その歴史を辿ると、仙道は元始天尊という神様のより三皇の一人「伏義氏」に伝えられ、伏義氏は神農氏と広成子に伝えたといいます。その後は、やはり伝説状の皇帝「黄帝」に伝えられ、さらに老子に授けられたといわれています。 時代は中国の春秋時代のこと、老子の仙道尹文始王少陽の二人の弟子に伝えられ、これにより仙道は二つの主流をもつようになりました。

尹文始の系統は文始派と呼ばれ、占い仙人・北宋の陳博がこの派の仙人として有名です。老荘と同じ無為自然の哲学が教えの根本で、まず精神を最高まで高め、それによって肉体をコントロールするという他の派とは反対の修行法をとっています。精神面での深さは仙道の派閥中最高ですが、修行法が非常に難しくほとんど伝える人がいないのが実情です。

王少陽の系統は、神仙術の派で、ヨガのように先に肉体をコントロールしてから精神を高めるのでそれほど難しくはありません。鐘離権、呂洞賓という伝説的仙人が、この派の行を多くの弟子に伝えたのでたくさんの分派があります。

例えば北宋の劉海蟾は、鐘離権の弟子の一人で、四川省の青城山に住んでいたことから青城道人といわれています。清浄派というあまり秘伝を公開しないことで有名な派の祖となり、劉海蟾は元の時代に張紫陽という弟子に術を授けました。この派は後に南派と称し、双修法房中術(男女相方で気を補い合う交接法)の代表的な派とな。 北宋のとき、もう一人の太極拳の元祖として知られている有名な仙人「張三豊」が出現しました。彼は身長は二メートル以上、目と耳が大きく、一年を通して一枚の衣で過ごしたといます。宋末に一度死んだが行き返り、文始派、南派の行をマスターして、武当山に籠もること数年「無根樹」、「張三豊大道指要」を残し、いずこともなく消え去ったといわれています。張三豊は武道家でもあったので、武道と仙道との関係がこの派をやるとよくわかります。この派は三豊派といわれ、やはり双修法房中術の派であります。

鐘・呂のニ仙人は南宋の時代にも現われ王重陽という者に奥義を授けました。これは全真教の歴史に残っているもので「高宋三十三年、咸陽の甘河鎮で、王真人は、鐘・呂ニ神仙に遭い、口訣を授けられた」とあります。全真教はこれを「甘河の遇仙」と呼んでいます。 この派は北派と呼ばれていますが、一般には全真教として知られています。二世の馬丹陽は、金の王朝から信頼され、三世・丘長春のとき、ジンギスカンの信仰を得るます。このため、この派は華北一体に広まり、同じ頃に起こった太一教、真大道教と勢力を分け合いました。この二つも道教の一派なのですが亡びてしまい、今は仙道のどこに属するかもわからなくなりました。 北派は禅の教えがもっとも濃く入っており強固に禁欲的です。それゆえ清浄派ともいわれ、始祖・王重陽は鐘・呂二仙のほか、劉海蟾の修行法もマスターしていましたが、馬丹陽以外の弟子には伝えず、おかげで、この派の修行法には一切房中術がとり入られていません。俗人から見ると面白くない派でありますが、秘伝をよく公開している上、修行法も具体的で易しいので、ほとんどの人は、この派に入ります。馬丹陽・丘長春のほか、五人の直弟子があり、北七真と呼ばれていて、それぞれ一派の祖となりましたが、全真教としてはまとまっています。

この中で丘長春の派は竜門派と称し、明の時代に、二百七歳の仙人として知られる伍仲虚、清の時代に柳華陽の二大仙人を出し、他派からは伍柳派と呼ばれています。 このほかにも元代から清代にかけて多くの丹鼎派が生まれました。 元の李道純、弟子の黄元吉は、清浄派の教えに儒教を取り入れ、儒家道教ともいえる中派を創りました。 明の嘉靖元年になると、また呂洞賓が現われて、陸潜虚という者に口訣を授けました。陸はこれに三峯派仙道、チベットのラマ教、インドのヨガなどをとりいれ、東派というもっともすぐれた修行法をもつ派を開きました。 この中に出てきた三峯派というのは、南北朝時代の張三峯という仙人が編み出した派で、もっぱら若い女性から一方的に陽気を吸いとる単修法の房中術を使いました。この派と三豊派はよく間違えられるますが、まったく関係がありません。

呂洞賓はまた李涵虚という有名な仙人にも口訣を授けていますが。この派は、西派といい、やはりチベットのラマ教の影響が入り、東派の行に似ています。ただし、東派に比べると程度はやや落ちるようです。李涵虚は、呂洞賓の口訣を授けられる前は張三豊について学んでいたといわれています。彼の手になる「三豊全集」は、その修行法をまとめたものです。清の咸豊年間に没したといいますから相当の長生きでした。 この丹鼎派仙道が、多くの分派に分かれていった時代、中医学(漢方医学)の方でも数多くの学説が生み出されていきました。金・元医学をもとに、明末から清にかけて急激に発達し、ついに、時方・温病理論として完成しました。この理論によって治療法が格段に向上し、病死するものが少なくなったので、中国の人口はいっきょに数倍にもなりました。仙道もこの影響を受け、今までバラバラだった修行法が医学の理論により体系づけられました。

このような歴史から神仙道とは「儒教、道教、仏教」が混じり合った「昇天(解脱)」を目指す修行法が体系化されたものだということがわかります。しかしその根底には道家の一学派の思想であり、黄帝を始祖とし老子を大成者としたことからこのように称されている「黄老思想」が根付いていることがわかります。 よって仙人を目指すには「無為自然の道(タオ)」を理解し、実践することが最も大切なことだといえるでしょう。

仙人には、白日昇天する天仙や、地上の名山に遊ぶ地仙や、死後に仙を得る尸解仙があり、神仙道宝塚では清浄派の行法と三豊派の導引法を主にして地仙を目指します。

仙道の系譜




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