癌と戦う人のための「郭林気功」宝塚、あなたの力になりましょう・・・

癌と闘う人のための「郭林気功宝塚」
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郭林気功(郭林新気功)とは
郭林気功(郭林新気功)について! 郭林女史
1970年代、公園で古典気功の「五禽戯」を練功する郭林女史

まず、はじめにお伝えしたいことは「郭林気功」自分自身で実践し、自分自身で病を治す療法で、他人からの気を受けたり(外気功)、気休めの心理療法ではないということです。 中医学(東洋医学)、西洋医学の理論に基づいており、これらの医学的検証に耐えうることができる療法であるということです。 自分自身で実践し、自分自身で病を治す「郭林気功」の可能性は無限です。 ぜひ、あなたも挑戦してみてください。

それでは、「郭林気功」とはどのようなものかをご紹介しましょう!


「郭林気功」は、中国の郭林女史が自らのガンを克服するために編み出されました。 この「郭林気功」が編み出されてから40年以上になりますが、現在中国では「郭林気功」がガンに効果的ということが常識となり、150万人の人達ががこの気功に取り組んでいます。

1909年、中国の広州にて生まれた「郭林女史」(本名:林冠名)は、40代で子宮癌の手術を受けたましたが、50代に入り今度は膀胱に転移したことが分かり、再度手術を受けることになりました。 幸い手術は成功しましたが、転移の可能性を残し 体調も思わしくありませんでした。 しかし、命を取り留めたことで何とか治したいという意欲が湧き出て、郭林女史は、祖父伝来の古典気功法を練功しましたが、 この古典気功では、癌の進行をくい止めることが出来ていないことに気付きました。 その後、転移を繰り返し6回の手術を受け、余命数ヶ月というところまで追い込まれましたが、さらに癌を攻略すための意欲が湧き出て、自らを実験台として気功のあらゆる方法を研究し練功しました。

なぜ、従来の古典気功では思うように治らないか?、 その答えを探る為に、中医学(東洋医学)や西洋医学書を徹底的に読破しました。 そして、一つの結論として、癌の原因が複雑すぎて従来の気功法では適応できる方法が確立されてないことに気付きました。 そこで、病人でも楽に出来る気功法に改変し、やってみて効果の出る方法を残し、適さない方法を排除して自分なりに工夫して練功を続けました。 大事なことは、「継続は力なり」と言うことでした。 「頭で考えて、実際にやらないのでは 全く意味がない」と 郭林女史は、実技とともに理論的裏付けや医学的検証のために医学書の猛勉強にいそしみ、その知識は、おそらく並の医師のレベルには達していたでしょう。 その間わずか3年!、 素人的な裏付けではなく専門家の検証に耐えるだけの療法としての気功の成果を積み重ねて行きました。

そして、従来の気功法で行われてきた「意念を丹田など体の中に置く」ことがかえって癌細胞を増殖させることに気付きました。 そこで体の外に意念を持っていき、精神の集中を局部に置かず、仏教でいうところの「無念無想」の境地を得られるように工夫しました。 この「無念無想」には大きな効果を得る事ができ、 更に医学的検証の結果、ある種のアイディアを思いつきました。 それは、「癌細胞が酸素を嫌っていること」であり「免疫細胞を活発にさせる」には逆に酸素や、大気のイオンを大量に取り入れる事が必要だと考え、練功しながら酸素をうまく取り入れる方法を研究しました。 それが新「郭林気功」独特の「風呼吸功法」なのです。 この功法の中で、中国で古くから伝わる「風呼吸法」というのを採用しましたが、これは非常に危険な呼吸法だと言われ、中国では使用が禁止されていました。郭林女史も、この「風呼吸法」を使って血を吐いたり、心臓を悪くしたり、散々な目に遭いました。しかし、苦労を重ねてこれを安全なものにして、癌細胞だけを消滅させ、健康な細胞は逆に活性化させる次の3つの安全策を打ち立てたのです。

@ 静かに優しく呼吸する!
A 歩きながら呼吸する!
B 練功の後、休息をしっかりとる!

この方法を練功に取り入れたことで効果が顕著に出始めました。そして、遂には長い年月を経て自分自身の「癌」との闘いに勝利したのでした。

【 注意 】
この「風呼吸法」が危険なのは、今でも変わりません。はじめて「郭林気功」を練功される方は、必ず経験豊かな指導者の下で練功してください!

その後、郭林女史は1960年代からの10年間は独学で現代医学と中医学(東洋医学)の修得にいそしむとともに、大勢の癌患者を対象に郭林自身が創設した新気功法を指導し実践と改良に明け暮れました。 1970年に入ると、臨床効果に自信をつけた郭林女史は、北京の大公園にて新気功を公開し広く癌病悩む人に知らせを通じて集め、 大々的に練功を開始しました。 効果はすぐに出始め、評判は地方にまで広がって多くの癌患者や家族が集うようにりました。 そして全国の各都市にも支部を置き指導に赴きました。 1974年には、郭林女史は自らが立ち上がり、中国人民政府の支持を取り付けて人民政府衛生部の責任者に抜擢されました。 今までに学んだ豊富な東西医学の知識と多数の癌患者を治してきた臨床的実績を総括して厚生機関にあたる上層部へ新気功に関する報告書をまとめ提出しました。 この報告書は、人民政府の厚生部門の役人のみならず関連の医学機関及び権威のある病院研究機関の評価することとなり、 新気功の実力と効果を公式に認定させるまたとない機会となりました。 その後の新気功の普及は飛躍的に進み、それは、ちょうど新気功のみならず気功ブームが中国で起き始めたときと重なりました。 新気功の「郭林気功」は、政府公認となり多くの医療機関で採用し各都市の政府機関の援助と相まって新気功の研究所や指導機関が生まれていったのです。

新気功の「郭林気功」は、中国全土に広まり各地の大都市に支部が出来て指導員の数も増え多くの癌患者が救済されました。 その名声は更に、世界に広がりアメリカ、カナダ、東南アジア、日本など多くの者が中国に新気功を習いに訪れ、郭林女史を始め有力な弟子達が指導に海外に出かけ十数年間の間に数万人の癌患者が癌を克服できたのでした。 癌患者とその指導者のために十余冊の本が出版され、この他にも治療症例集などが出て練功や学習の友として重宝されました。 発行部数は100万冊を超えると言われ、他の気功書には例を見ない快挙であろうといわれています。 郭林女史は、多くの癌患者や指導者達のために各地を訪れ1日も休まず指導し講演をして回りました。 その激務は高血圧症を招くに至り、新気功によってどうにか体力を保っているものの長年にわたる過重労働は遂に不世出の名人である郭林女史に永遠の休養を与えることとなったのです。 1984年12月14日、郭林女史は永眠しました。 享年75歳、死因は脳内出血であり癌ではありませんでした。 郭林女史が残したこの新気功「郭林気功」は現在も後継者達によって進化し続け、多くの癌に悩む人々を救済しつづけています。

そして今、中国では「郭林気功」「手術、放射線、抗がん剤」などの「西洋医学」との組み合わせにより、飛躍的な癌治療効果が収められています。 中国国内の大きな総合病院には「気功科」という科が設けられているほどです。 これは、「郭林気功」「放射線治療、抗がん剤」などの副作用で失われた体力やその他のダメージの回復に絶大な効果が得られるからのようです。 以前は「郭林気功」というと、医者から見離され打つ手が無くなった患者、いわゆる癌難民救済方法として認識されていましたが、今では、このように「西洋医学」「中医学(東洋医学)」的な「郭林気功」とが、それぞれの長所を活かし、効果的に癌治療に取り入れられています。 今後、日本でもこのような形での癌治療方法が常識となり、癌や慢性病で苦しむ多くの人々が救済される日が来るのも、そう遠くない日の話しかも知れません・・・

郭林女史
公園で「郭林気功」を指導する郭林女史

郭林女史
1984年代、海外から「郭林気功」を求めてやってきた人々に指導する郭林女史

郭林気功の本
郭林気功の本
1980年代は「郭林気功」に関する多くの書物が中国で出版されました!

米国最大のテキサス州がんセンター研究結果!
テキサス州立大学M.D.アンダーソンがんセンター
テキサス州立大学 M.D.アンダーソンがんセンター


テキサス州立大学M.D.アンダーソンがんセンター病棟
テキサス州立大学 M.D.アンダーソンがんセンター病棟

日本国内での癌治療においては、まだまだ化学的薬物や、放射線などの化学的手法によって癌細胞を死滅させる対処法が主流で、これからもその研究はエスカレートしていく模様です。 しかし、欧米では最近、数千年の歴史を持つ中医学による整体観念(人の体は自然の一部であるという概念)が注目され、人の体が本来持ち合わせている自己治癒力に着目しているようです。 そんな中、米国内において最も多くの癌患者を診察しているテキサス州ヒューストンにある M.D.アンダーソンがんセンターの Lei Jiunan 博士は、研究結果により「郭林気功」による抗癌作用の科学的根拠を次のように報告しています。


 1. ストレス緩和による内分泌(ホルモン)の増加

「松静站立(入静)」によりストレスは緩和され内分泌が増加し免疫力が向上する。


 2. 高圧酸素による癌細胞の抑制

「風呼吸法」により高圧酸素を維持し、癌細胞を死滅させることができる。


 3. 高電位の生物電気発生による癌細胞の抑制

「気功練功(中丹田三個気呼吸、自然行功、昇降開合松静功など)」により体内で高電位の生物電気(静電気磁場)が発生し、低電位である癌細胞を抑制することができる。



そして何よりも、「郭林気功」の練功により、「患者自身が希望を持つこと」が治療成果に
つながる最大要因であると Lei Jiunan 博士は報告しています。




(郭林新気功)病友紹介!
李素芳さん 80歳 乳癌(癌歴35年)
黄可誠さん 76歳 腎癌(癌歴30年)
耿慧文さん 74歳 乳癌(癌歴25年)
唐伶俐さん 60歳 脳癌(癌歴32年)
劉書華さん 72歳 肺癌(癌歴28年)
李恩朝さん 68歳 肺癌(癌歴17年)
桑魁寅さん 66歳 直腸癌(癌歴27年)
張光微さん 年齢不明 直腸癌(癌歴28年)
田鳳梅さん 66歳 全身性紅斑性狼瘡/エリテマトーデス(病歴22年)
楊鳳勤さん 52歳 子宮癌(癌歴33年)
劉金華さん 57歳 乳癌(癌歴21年)
張仲禄さん 83歳 肝臓癌(癌歴24年)
何国英さん 63歳 口腔癌(癌歴18年)
張元利さん 63歳 卵巣癌(癌歴33年)
岳家彦さん 81歳 胃癌(癌歴24年)
趙成さん 79歳 肝硬変(病歴37年)
貢登さん 年齢不明 食道癌(癌歴5年)
何守財さん 63歳 胃癌(癌歴24年)
孫雲彩さん 74歳 乳癌(癌歴31年)

李素芳さん 80歳 乳癌(癌歴35年)
李素芳さん
李素芳さん 80歳 乳癌(癌歴35年)

1976年5月に乳癌を患い北京大学病院で根治手術を受けました。そのとき、両側の卵巣も摘出しました。その後、放射線治療を受けましたが、それからリューマチ性関節炎が再発してしまい、赤血球沈降速度70、血圧の100〜200、心拍数100以上、血色素7〜8グラムで、よく咳をし吐血し、常に風邪の症状で熱が出ていました。その他、持病の気管支喘息があり、体は極度の虚弱体質でした。 当時、私には小学校に通う7歳の娘がいました。娘はまだまだ私を必要としていましたので、私は死ぬわけにはいかなかったのです。 聞くところによると、竜潭湖公園で病気を治すことができる「吸吸呼(シ・シ・フー)」という気功「郭林新気功」をやっているとのことでした。私は早速、竜潭湖公園へ出向き「特快功」を習いましたが、私は気管支喘息と極度の体力低下で普通に歩くことが出来ず、ただ腰掛けて見ているだけでした。 「これは私には無理だ!」と諦めていましたが、郭林先生と先輩の病友達が私を励ましてくれ、郭林先生は練功メニューを「特快功」から「中快功」へと変更し、私を常に温かく見守り、体調に合わせて細かく練功メニューを調整してくれました。 私は毎日練功を続け、毎朝4時には練功を始めていました。 そして「自然行功」、「昇降開合」、「吐音功」、「快功」、「点歩功」、「手棍功」などのメニューを毎日こなしていきました。 半年後には私の肺部の影は全て消えてなくなり、もう咳で吐血することもありません。12歳から患ってきた持病の気管支喘息もよくなり心拍数も正常で、歩いても若者のようで、正常な人が歩くより更に速く歩けます。 山東の泰山、北京の香山へ家族で登山に出かけましたが、家族の中で私が一番歩くのが速かったです。 30年以上の練功の中で私が学んだことは、「心が神経(自立神経)を鎮める」ということでした。心穏やかに練功し、苦しみに学び、懸命に鍛え、順を追って漸進し、根気よく続けさえすれば必ず効果が現れます。「楽観的に向上する精神」は癌に打ち勝つ大きな柱です。
それでは、私が行ってきた「郭林新気功」練功メニューを以下にご紹介します。

●第1段階 (1977〜1980年) - 毎日の練功時間(合計4時間)
<午前のメニュー>
自然行功 15分 - 休憩 - 20分 - 休憩 - 30分 - 休憩 - 45分
快功 5分 - 休憩 - 10分 - 休憩 - 20分
昇降開合松静功 1セット
吐音功 1セット
1歩、2歩、3歩点功 それぞれ数分程度
<午後のメニュー>
湧泉按摩功、手棍功

●第2段階 (1981〜1984年) - 毎日の練功時間(合計3時間)
自然行功
快功
吐音功
手棍功 1歩、2歩、3歩点功
中級功のうちでどれか一つ(例:調整陰陽漫歩行功など)

●第3段階 (1985〜1988年) - 毎日の練功時間(合計2時間)
自然行功または快功
昇降開合松静功
吐音功
1歩、2歩、3歩点功
手棍功
五禽戯の中のどれか一つ(例:熊や鳥など)

●現在 - 毎日の練功時間(合計1時間30分)
自然行功や快功などの行功を早朝に少しだけ行う
昇降開合松静功や手棍功などの静功を夜に少しだけ行う


黄可誠さん 76歳 腎癌(癌歴30年)
黄可誠さん
黄可誠さん 76歳 腎癌(癌歴30年)

1981年の7月、私は毎日気分がすぐれず、みんな私のことを「やつれている!」と言いました。 12月に最終的な診断を受け、腎臓に癌があることがわかり、住病院で12月中旬には右腎臓の摘出手術を受けました。 そのときの癌の腫瘍の分化は遅く、まだ腎臓の中心まで侵犯しておらず、癌の大きさは3×2.8cmぐらいでしたが、家族の者は私に本当の病名を教えませんでした。 そのため、私は主治医が勧めた放射線治療を拒否し、放射線治療の最も良い時機を逃してしまいました。その上、化学療法も受けませんでしたので癌細胞が体内に残っていたようで、1996年には乳癌が見つかり、その年の5月に左乳の根治手術を受け、その後、主治医は放射線治療を勧めましたが、腎臓が一つしかないことを考慮して、放射線治療と化学療法を受けませんでした。 そして、2002年の健康診断では残っていた左の腎臓に5〜6cmぐらいの大きな癌が見つかり、手術で左腎臓の上半部分を切除しました。 普通ならば、手術後に放射線治療と化学療法をしなければならないのですが、このときも私は放射線治療と化学療法を受けませんでした。 そして、飲み薬の量も最低の量に留め、薬膳を主とした食事療法と「郭林気功」に頼りました。 食事療法は私にとって、とても重要で、今までのところとても良い感触を得ています。私の生活の質は向上しており、毎朝6時〜8時に公園に行って「郭林気功」の練功を行い、午前中は友達とお茶を飲んだりし、時にはダンスに行き、天気が良く暑い日には泳ぎにも行きます。夜にはゆっくりとテレビや新聞を見て、とても充実した毎日を送っています。 西洋医学と「郭林気功」が上手く組み合わされたおかげで、今の私があるように思います。


耿慧文さん 74歳 乳癌(癌歴25年)
耿慧文さん
耿慧文さん 74歳 乳癌(癌歴25年)

1986年3月、私は乳癌と診断されました。そして、1986年7月8日に北京大学病院で左乳房の摘出手術を受けましたが、その時リンパ節への転移が確認されました。 よって、手術後に抗癌剤治療を受けましたが、血液検査の結果が良くなく主治医は「これ以上化学療法を続けることはできず、他の治療法もありません。あとは漢方薬を飲むことぐらいです。」と私に告げました。 その話を聞いたとき、私はとてもショックで心細くなりました。 そして、もう大学病院で受けれる治療法はないので退院しなくてはいけなくなりましたが、ある朝の5時頃、病院の中庭を散歩していると、何人かの患者さんが手を振りながら歩いていて、時々腰を捻っている光景を目にしました。 そして、その人達に「何をしているのですか?」と尋ねると「これは、「郭林気功」という癌を治すための歩く気功なんですよ!」との答えが返ってきました。 そして、その「歩く気功」を北京紫竹院で学べるというのです。 退院後の1986年10月、私は娘に付き添ってもらって北京紫竹院まで足を運び、気功を学ぶ申し込みをしました。 しかし、その時の私は半信半疑で、しかも精神的に落ち込んでいたので、あまりまじめに練功を行いませんでしたが、大勢の癌患者の練功風景を見て、「もしかすると」と少しずつやる気が出てきました。 それでも、なかなか上手く歩くことができずに悩んでいる時、郭林先生が私にこう言いました「身体の力を抜いて、腰を緩めないと気は通りませんよ!」、それを聞いてからは身体の力を抜くように意識し、何となく上手く歩けるようになりました。 またある日、「湧泉按摩功」というのを習いましたが、この功法を学んでからは、20年来の不眠症がウソのように治ってしまいました。 これに確信を得た私は、真剣に「郭林気功」の練功に励むようになりました。 毎朝6時に公園に行き3〜3時間半練功を行い、家に戻るのはいつも11時ごろで、夜には「湧泉按摩功」も行いました。 そして半年後、体力も気力も充実し、私の血液検査値は正常値に戻り、薬や栄養剤などは一切飲まないようになりました。 そして、1987年の下半期には八一湖郭林気功指導センターで「郭林気功」を教えるよになり、その忙しさからか自分自身の練功がおろそかになり、1998年には胸の痛みを感じて検査を受けたところ、5cm×2cmの腫瘍が見つかりました。医者は私に手術での摘出を勧めましたが私は断りました。 私はおろそかになっていた「郭林気功」で試してみようと考えていたのです。 私には「郭林気功」で何とかできる自信がありました。 主治医は私の肝っ玉の大きさにあきれていましたが・・・ まず私は漢方医院に行って漢方薬を処方してもらい、そして練功に取り組みました。 そして、5ヶ月半後に超音波検査を受けたところ、腫瘍は2cm×1.1cmにまで縮小しておりました。それでも主治医は「郭林気功」の効果を信じようとはしませんでしたが、私は大喜びでした。 私は、現在までに2000人以上の生徒に「郭林気功」を教えてきましたが、生徒達が「郭林気功」を真剣に学び、そして再び健康な身体を取り戻し、自信に満ち溢れ微笑む姿を見ることが、今の私の最大の喜びです。


唐伶俐さん 60歳 脳癌(癌歴32年)
唐伶俐さん
唐伶俐さん 60歳 脳癌(癌歴32年)

1970年、私は旅館に就職しましたが、当時の従業員43人の女の子の中で一番の美人だといわれていました。しかし、数年の間に鼻は大きく、唇は厚く、眉の骨は高くなり、見る影もなく見っともない姿に変わってしまいました。 1979年、あまりにも酷くなったので私は歩いて桂林南山病院へ向かいました。そこで、北京日壇病院を紹介してもらい、最終的に脳癌の末期だと診断され、放射線治療を受けました。放射線治療で消えたかに見えた腫瘍でしたが、1981年に再発し検査結果では腫瘍の大きさは2cm×2.2cmにまで大きくなっていて余命3ヶ月と宣告されました。 私はこのように窮地に陥った時、「郭林気功」という癌を治す気功が北京地壇公園で行われていることを知り、1981年3月、私 一縷の希望を抱いて北京地壇公園へと向い、郭林先生を探し当てました。 そして「歩く気功」を練習する行列に参加しました。 この頃、私は体がとても弱くて、まだ北京日壇病院に入院しており、地壇公園まで公共バスを乗り継ぎ、2時間かけて行きましたが、当時は本当に大変で、地壇公園に着くまでに日に一度は転びました。 それでも、郭林先生が私の手を引き延ばして、1歩ずつ「自然行功」を教えてくださることをありがたく思い、私は必死に頑張る決心をしていました。 毎朝5時定刻に公園に着き、壁や木を支えに「自然行功」を毎日毎日繰り返し、3ヵ月後には支えが無くても一人で歩けるようになりました。 そして、1984年には出勤することができるようになり、1986年には肝機能検査の指標はすべて正常になりました。 1987年の北京協和病院での検査結果では腫瘍の大きさに変化は無いものの、唇は薄くなって、鼻も小さくなって、皮膚はきめ細かく、発音も正常になっていました。 1990年のCT検査結果では「脳下垂体の腫瘍が奇跡的に消えている」と主治医は驚いた表情で私に伝えました、2000年のCT検査でも「全消」で、2004年のMRI検査でも結果は「全消」のままでした。他の医者達もみな「これは奇跡だ!」と話していました。 今では、明け方4時に起床して、2時間練功をし、その後、朝の7:00〜8:30分までは桂林市北斗七星公園で「郭林気功」を教え、9時には出勤しています。 午後には「中快功」の練功を行い、夜には「湧泉按摩功」をしてから休みます。 郭林先生がある日、こんなことを話されていたのを思い出します。 「桂林山の青い水はとても綺麗です。そしてそこにあるガジュマルの木の美しいこと!、砂のような土壌にガジュマルの木は粘り強く生存しています。そして桂林の山水はガジュマルの木に美色を加えます。人もあるいはこのように自然と調和し、天地のエネルギーを得て向上する精神の持ち主なのでしょう!」、 私達は気功の練功により「心の病」を修復し、向上する精神を補います。これこそが気功を学ぶ上での最高な境地なのです。 私は気功をするととても心地良く感じ、気持ちが良くなります。 私は恐ろしい病気にかかったことで、「郭林気功」にめぐり合い、人生の中で最も貴重なものを得たように思います。 あれは1983年、私はまだ癌を完全に克服していませんでしたが、郭林先生は私にこう言いましたデブちゃん、私と一緒に旅に出ましょう、あなたにとってきっと良い経験になることでしょう!」、私はためらうことなく郭林先生と河南、鄭州、上海などに行って「郭林気功」を教えるお手伝いをしました。 郭林先生が気功により私達を救ってくれたように、私も努力して自分自信を献上し、病に苦しむ人々を救う事が出来たならば、これ以上の幸せはありません・・・


劉書華さん 72歳 肺癌(癌歴28年)
劉書華さん
劉書華さん 72歳 肺癌(癌歴28年)

1983年から私は高血圧、白癜風、糖尿病、脳血栓などの病気を患い、その後、肺癌にもなりました。 6種類の病気を患った私は、「郭林気功」の効果を信じて、西洋医学の科学的な診断を受け、漢方医により陰陽のバランスを調整してもらい、そして「郭林気功」により大量の酸素を体内に取り込み、内分泌を改善して、免疫機能を高めました。 私は20年余りの中で10回以上入院しましたが、いずれも病状は後退していません。 やはり「郭林気功」の効果は大きかったと思います。 「郭林気功」の練功によりが消えてなくなっただけではなく、脳血栓とその他の疾病もすべて明らかに改善されました。私は郭林先生に本当に感謝しています。 私は、今では「郭林気功」を千人以上の人に教えていますが、多くの患者は「郭林気功」の練功により延命することができました。また、ある者は仕事に復帰することができました。 このように効果の明らかな数十人は、癌との闘病を通して人生の価値を見出したようでした。私の残りの人生は、このような癌に苦しむ人たちに献上しようと思っています。


李恩朝さん 68歳 肺癌(癌歴17年)
李恩朝さん
李恩朝さん 68歳 肺癌(癌歴17年)

1994年、私は北京病院の呼吸科で検査を受け、最終的に肺癌と診断されました。 癌細胞は鱗状になっていて痰の中にも癌細胞が見つかるほどでした。 背中に放射性の痛みを感じ、常に微熱がありました。 内科と外科の先生の立会診察の後、肺の摘出手術を行う方針が決まりましたが、私は手術するべきかどうか長い間悩んでいました。 そこで私はまず、天壇郭林気功指導センターに行って、「郭林新気功」を学びました。 そして、手術のことを先生に相談すると「手術が可能なら手術を受けるべきだ」と手術を提唱されました。 また、「手術後は骨身惜しまず練功し、食事療法を組み合わせて陰陽を上手く調整することができれば、この病気は決して恐ろしくありません」とお話してくれました。 これを聞いて、そのとき私は癌という病魔に打ち勝つ自信を持つことができました。 私は手術を受けることを決心し、右肺を半分切除しました。 そして手術後、退院するや否や、天壇郭林気功指導センターに行き、引き続き「郭林新気功」を学んで練功に練功を重ねました。 練功を続けて半年後には体力がほぼ回復したと感じていましが、病状の方はそれほど改善されず、検査入院したところ、癌の他に肝硬変リューマチ性関節炎も見つかり、とりあえず放射線と抗癌剤治療を受けるよう勧められました。 しかし、放射線治療や抗癌剤などの化学療法の話を聞くと、食欲不振や脱毛などの副作用が大変辛いものだということで、自分自身の体の免疫機能全体がは乱れていると感じていた私は化学療法を放棄し、漢方医の治療と気功に頼ることにしました。 そして、「郭林新気功」を続けて数年以降に自己免疫機能は高まり、食欲はますます良くなり、食べることが楽しくなりました。 また、横たわるとすぐに寝つくようになりました。 その他の慢性病に対する治療効果も大変良くて、リューマチ性関節炎もいつの間にか完治していました。しかし肝硬変の問題は残っていて、何度か大出血で私の生命を脅すことがありました。 その時、やむを得ず脾臓の摘出手術を受けましたが、そのことに落ち込まず、このような大きな手術の後でも引き続き練功を重ねました。 あれから10年以上経ちますが、今では以前よりも心臓は強くなり、胃潰瘍もなくなりました。そして初級功から中級功に練功内容を変え、その効果も大幅に飛躍していると感じています。


桑魁寅さん 66歳 直腸癌(癌歴27年)
桑魁寅さん
桑魁寅さん 66歳 直腸癌(癌歴27年)

1984年4月6日、私は直腸癌の診断を受け、4月18日に手術を行いました。 そして、手術から18日後には腸閉塞が発生し半年の入院生活を余儀なくされ、この半年間の入院中に3回の腸閉塞の手術を受けました。 その3度目の手術の時に結腸部位で多数の結節が発見され、癌転移を防止するためにそれらを切り取りました。 しかし、退院時の検査結果では「再発の疑いがある」と主治医は深刻な顔つきで私に話しました。 私は命をつなぐために何とかしなければと模索していたところ、入院中に知り合った人から地壇公園で「郭林新気功」という癌を治すことができる気功が学べるという話を聞きました。 とりあえず、私は地壇公園に足を運び「郭林新気功」とやらの練習風景を見学しました。 その様子は「ただ歩いて、時々腰を捻っている」だけでした。 私はその練習風景を見て「こんな気功で癌を治せるなんて、ありえない!」と思いました。 しかし、入院中に知り合った友人達は皆、効果があると話していましたので、少しだけやってみようと思い、3ヶ月の気功訓練を受けた後、奇跡が起こりました。 病院で再検査を受けると、組織の一部を見ただけで、医師は「検査の必用はない!」といいました。組織はとてもツルツルしていて、正常な状態に戻っているというのです。 このとき「郭林新気功」は神様のようだと思いました。 なぜなら、癌が消えただけでなく、長年患ってきた気管支炎をも完治してしまったからです。 以前、私の気管支炎は深刻な状態で、咳をし始めると止まらず、咳の音はご近所の人達に大変迷惑をかけていました。 その事を気にしていた私は、咳が出始めると慌てて唐辛子を炒めて、それを口にし、なんと咳をしないように努めていました。 また、以前は胃が悪く、熱いご飯を食べることができせんでしたが、今は平気です。 太ももの付け根には大きな嚢腫があって、この数年間、何度手術を繰り返しても再発し定他のですが、「郭林新気功」の練功を始めたから半年以降は手術もせず、嚢腫は消えてしまいました。 しかし、その後は段々と練功時間が少なくなり、私はすっかり気を緩めていました。 そして、2002年には検査で両肺に癌細胞の転移が見つかりました。 でも私は慌てることなく、薬を一切飲まずに「郭林新気功」を6ヶ月一生懸命の練功したところ、両肺の癌細胞はすべて消えてなくなりました。
それでは、私が行ってきた「郭林新気功」練功メニューを以下にご紹介します。

●1984年12月〜1985年12月
<朝のメニュー>
自然行功 40分
昇降開合松静功+吐音功 30分
特快功 20分
中快功 20分
少快功 20分
1歩、2歩、3歩点功 合計60分
<午後のメニュー>
自然行功 40分
特快功 20分
<夜のメニュー>
自然行功 40分
特快功 20分
手棍功、脚棍功、頭部按摩功 この何れか、または複数を時間が許す限り行う

●1986年1月〜1988年1月
自然行功 40分
昇降開合松静功+吐音功 30分
特快功 20分
中快功 20分
1歩、2歩、3歩点功 合計60分

●1988年2月〜現在
自然行功 40分
吐音功 20分
特快功 20分


張光微さん 年齢不明 直腸癌(癌歴28年)
張光微さん
張光微さん 年齢不明 直腸癌(癌歴28年)

1983年10月30日、私は中国医学科学医学院で直腸癌の手術を受けました。 手術前のCT検査の結果では、腫瘍の大きさは6x6cmで既にリンパ節にも転移していてステージVということでした。 手術後は抗癌剤治療を5クール受けました。1クールを終えたあと退院して帰宅しましたが、食べ物を何も受け付けない状態で、常に気分が悪く、睡眠も十分にとることができませんでした。 そこで私は1984年の4月1日から「郭林新気功」を学んで、毎朝4時に起床して練功に励みました。 先生は私の状況を考慮し、まず先に「湧泉按摩功」を教えてくださいました。 そして、「湧泉按摩功」を3週間続けたところ、寝て食べることができるようになりました。 しかし、癌細胞は両肺に転移していました。 私は抗癌剤を5クール終えたあと、練功時間の長さを調整し、ビタミンCを多く取るように心がけました。そして、民間療法の薬草と漢方薬を服用し、3ヶ月後には肺部の癌細胞は消えていました。 1993年に再検査した時も、ほとんどの検査指標値は正常でしたが、1つだけ高指標を示す腫瘍マーカーがあり、再発、転移の兆候が疑われました。 私は民間療法の薬草と漢方薬の服用量を増やし、「郭林新気功」の練功時間を150分から240分に増やしました。 そして40日後、再び再検査を行ったところ、この腫瘍マーカー値は正常値に下がっていました。 1998年にも、この腫瘍マーカー値が上がりましたが、即座に「郭林新気功」の練功時間を調整して下げることができました 。 1983年の手術前には、私は既に中末期癌患者でしたが、今では癌細胞は存在しません。 今思うとあの時「郭林新気功」を学び、希望を持てたことが大きかったと思います。 「郭林新気功」を学ぶことで精神的に崩れ落ちることはなく、楽観的な情緒を保持し、病魔と闘うことができたのです。


田鳳梅さん 66歳 全身性紅斑性狼瘡/エリテマトーデス(病歴22年)
田鳳梅さん
田鳳梅さん 66歳 全身性紅斑性狼瘡/エリテマトーデス(病歴22年)

1989年、私は全身性紅斑性狼瘡(エリテマトーデス)を患いました。 全身性紅斑性狼瘡(エリテマトーデス)は、1970年代〜1980年代には「不治の病」といわれていて、死亡率は100%でした。この病気は治療方法の無い、世界的にも大変恐ろしい病気でした。 当時は特効薬もなく、西洋医学治療の方面では、ただホルモン剤とビタミン剤を使って自分の免疫力を強化することしかできずにいました。 中医学の漢方医の治療においても同様に特効薬はなく、漢方薬を使ってやりくりし、生命をなんとか維持していました。北京の四大名医の「趙炳南尊師」は多くの紅斑性狼瘡の患者を診察していましたが、彼の記録の中でもこの病気が根治した例はなく、ただ漢方薬により緩やかに保養し、これを一生維持しなければならなかったのです。 当時、私の免疫力は非常に低くて、白血球は800ほどしかありませんでした。 全身は浮腫み、口の中には潰瘍ができて食事を取ることができず、ホルモン剤とビタミン剤の注射をしてもらって、なんとか命を繋いでいました。 辛い毎日でしたが、何とかしなければと、私は「郭林気功」を学び始めました。 雨であろうが、雪であろうが、どんな天気の日にも私は毎日「郭林気功」の練功を続け、とにかく1年間頑張りましたました。 そして、「郭林気功」を学び始めて2年目に病院で検査を受けたところ、信じられない検査結果で大喜びしました。血液検査の全ての項目が正常値になっていたのです。 今私は、「郭林気功」を学ぶことを全国の紅斑性狼瘡患者に呼びかけています。「郭林新気功」紅斑性狼瘡を根治することができるのだと、私は自信を持って皆に伝えています。 私は天壇公園での「郭林気功」学習班で、多くの紅斑性狼瘡患者に会い、彼らが皆生き生きとしていて自信に満ち溢れているように感じました。 そんな患者の1人に「張淑雲」という女性が居ました。 彼女は1971年に紅斑性狼瘡を患い、流産後の高熱で半身不随になってしまい立つことができなかったそうです。 横になっても眠ることが困難で、いつも座ったような状態でとても悲惨だったと話していました。その時彼女は自分が何の病気にかかったのか知らず、後に北京の朝陽病院での診断ではじめて全身性紅斑性狼瘡だと知りました。紅斑性狼瘡の病原菌は全身の五臓六腑と関節を浸食しますが、病院ではホルモンとビタミンを使った治療受けていて、時には病状は軽減しましたが、しかし何日か立つと病状はまた悪化しました。 1984年までに、彼女は4回再発して、最後に尿毒症を引き起こし、全身は浮腫み、北京協和病院に転送されました。 しかし病状はますます悪化し、主治医は彼女の家族に危篤状態であることを伝えました。彼女の家族はこっそりと葬儀の準備を進めていました。 ところが、この時に「郭林先生」が彼女の家に来て、自ら彼女に「郭林気功」を教えてくれたのです。 「郭林先生」は彼女を椅子に座らせたまま訓練させたのです。 少しずつ訓練を重ねて、そして病は完全に治癒しました。
決してあきらめず「郭林気功」を信じて練功を続ければ、きっと道は開けるということを、私は全世界の人達に伝えたいと思います。


楊鳳勤さん 52歳 子宮癌(癌歴33年)
楊鳳勤さん
楊鳳勤さん 52歳 子宮癌(癌歴33年)

1988年、私は子宮癌を患い、発見されたときは既に末期状態で余命3ヶ月を宣告されましたが、子宮癌の摘出手術を受けました。 そして、私はすぐに地元で「郭林気功」を学び始めました。 私の住んでいる東北地方の冬はいつも荒れ模様の天気でとても寒く大雪が降ります。 毎朝私は雪を払いながら稽古を続けました。毎日重装備の服装でマスクをつけ「吸吸呼(シ・シ・フー)」の訓練をしました。 そして「郭林気功」を学び始めてから8年後に私は北京を訪れ、本格的に「郭林気功」を学びました。 それからは、日に日に体調は良くなっていきました。 私は今、完全に健康を取り戻しています。 子宮癌の摘出手術をしてくださった西洋医の先生、そして私が「郭林気功」をマスターするまで、毎日毎日、私の手をとり教えてくださいました先生方にとても感謝しています。 「郭林気功」が無ければ今の私はありません。 私を死の淵から救い出してくださったことを深く深く感謝しています。 本当にありがとうございました。


劉金華さん 57歳 乳癌(癌歴21年)
劉金華さん
劉金華さん 57歳 乳癌(癌歴21年)

1990年2月に湖南省腫瘍病院で乳癌の手術を受けました。 左乳は導管内癌で、右側の乳房の中には4つの腫瘍がありました。 右乳房は完全に切除し、左側は部分的に切除しました。 手術後は、3年間で1クールの抗癌剤治療を受け、その後2年間の間に更に2クールの抗癌剤治療を受けました。 手術前に私は友人から、「どこかの公園の中に、癌を治すことが出来る気功を学べる「郭林気功指導センター」というのがある」と聞いていました。 手術後、傷口の抜糸を終えた翌日に、私はその「郭林気功指導センター」を探しにあちこちの公園をあたり、「郭林気功指導センター」を探し当てることができました。 そして、勉強会で「姜先生」という方が、私達に色々なことを話してくれました。 その時の感触はまるで砂漠の中でオアシスを探し当てたような感じでした。 「姜先生」は、まず私達にこう言いました。 「病気になったことに落ち込まないで、全身をリラックスさせてください。そして、その他の事は何も考えてはいけません。」 また、その時に私を担当してくださった先生が乳癌の患者で、先生自身も「郭林気功」の訓練を行い5年で回復したのだと聞きました。 これも私にとって1つのとても大きな励みになり希望を持つことができ、その時から私は真剣に「郭林気功」を学び始めました。 それと同時に病院で1ヶ月間、抗癌剤治療を受けましたが、この1ヶ月、私は真剣に漢方薬と食事療法、そして気功の訓練を続けたおかげで、食欲を維持することができ、白血球も標準値を下回ることなく、その後も合わせて合計3クールの抗癌剤治療をこなすことができました。 当時、私の年齢は36歳で、癌患者としては比較的若かったので、主治医は私に合計8クールの抗癌剤治療を受けるようにと勧めていました。 しかし、私は「郭林気功指導センター」で気功を学ぶ多くの癌患者が訓練のあと「癌が消えた」という話を「姜先生」から聞いていましたので、私はできるだけ化学療法を受けないでおこうと心に決めていました。 化学療法による副作用はとても酷く、苦痛だということは良く知っていましたから・・・3年間の「郭林気功」の訓練の後、私の体力は完全に回復し、体調も非常に良くなり、その後も一切化学療法を受けていません。 正直、抗癌剤治療など化学療法で負担する医療費は、私にとって大きなストレスになっていましたが、その費用も節約することができ、お金の心配も不要でした。 化学療法による副作用から逃れられたことだけではなく、お金も節約できたことを、私は「郭林気功」にとても感謝しています。


張仲禄さん 87歳 肝臓癌(癌歴24年)
張仲禄さん
張仲禄さん 87歳 肝臓癌(癌歴24年)

私は若い頃に急性肝炎を患いました。 それが慢性肝炎になり、そして肝硬変へと悪化していきました。 そして、1987年7月にはとうとう肝臓癌に変化してしまいました。 肝炎はほとんど自覚症状がなかったため、私は自分自身が深刻な病気であることに気づかず勤めを休まず続けていました。 しかし、しだいにやつれて力がなくなってきたので、検査を受けたところ、肝炎は肝硬変に変化し、肝臓の右下には5×6cmの腫瘍が見つかりました。 私はあちこちの病院を訪ね治療を頼みましたが、どこの病院へ行っても「手術は不可能」と言われ、放射線治療と抗癌剤治療に頼るしかありませんでした。 しかし、私の血小板は30000余と少なく、白血球も2000〜3000程で、放射線治療や抗癌剤治療を受けるにはとてもリスクの高い状態でした。 お腹はとても膨れていて、とても悲観的になり落ち込みました。 私は諦めずに3つの有名な病院を探して何度も何度も立会診察をお願いしました。 そのうちの1つのの北京腫瘍病院は、やはり「手術は不可能」だと言い切りましたが、残りの2つの病院では何とか手術が可能だと言ってくれました。 そこで、私は1988年10月に手術を受け、腫瘍を摘出しました。 その時、手術後に抗癌剤を直接肝臓に流し込めるように1本のパイプを埋め込みました。そして、手術後に大量の抗癌剤を肝臓へ直接流し込みましたが、その副作用で肝臓のほとんどの細胞を壊死させ、その痛さは我慢できないほどでした。 その後、わたしは退院して自宅に戻りましたが一人で歩くことができませんでした。 そのうち、地壇公園で「郭林気功」という癌を治すことのできる気功が学べるという話を聞き、私は早速、地壇公園へ向かうことにしました。 しかし、私はその時歩いて気功を学ぶことが出来なかったので、歩行器を持って地壇公園へ行き、休憩しながら少しずつ「郭林気功」を学びました。 それから毎日毎日「郭林気功」の訓練を行い、全部で12年間「郭林気功」の訓練を続けました・・・


何国英さん 63歳 口腔癌(癌歴18年)
何国英さん
何国英さん 63歳 口腔癌(癌歴18年)

私は1993年に口腔癌の手術を受けました。 そして、1993年2月に退院し翌月の3月末から地壇公園で「郭林気功」の練習を始めました。 ところが、1994年、地壇公園で意識を失い頭を23針縫う大ケガを負いました。 その時、左脳の頭蓋骨が外から見えるほどで、すぐに病院に運ばれましたが、この時私はもうダメだと思いました。 しかし、一命を取り止め、体力が回復した後、私は毎朝5時に起きて病院内で基本的な歩く行功「自然行功」「シ・シ・フー」の呼吸に合わせて行いました。 しかし、私の頭蓋骨の皮膚を移植する手術はまだ行われておらず、私の頭蓋骨は露出したままでした。 こんな状態で季節的にも感染症が心配されていましたが、何ヶ月かの気功訓練以降に、私の頭皮がゆっくり成長し、頭蓋骨をすべて包み、感染症の心配はなくなりました。 このことには主治医も、入院中に病棟内で知り合った友人たちも皆驚いていました。 また、私の左肩の三角筋は切断され、右肩の鎖骨も切断されていたので、両腕は動かすことができず、軽いタオルでさえハンガーに掛けることができませんでした。 それでも、かろうじて手を挙げることができたので、退院後、毎日真剣に手を振り「郭林気功」の練功を重ね、ゆっくり腕を挙げることができるようになりました。 その時、私は本当に嬉しかったです。 もし「郭林新気功」が無ければ、これ程までに回復することはできなかったと思います。また、2002年〜2005年までに、私は「鎖骨、頸椎、首、リンパ」などの6回の手術を受け、2005年の最後の手術では神経の腫瘍を切除し、その後の病理検査結果では癌細胞が完全になくなっていました。この時もとても嬉しくてたまりませんでした。 今では何ひとつとして病気は無く、孫娘の送迎や買い物にも行きますし、ご飯作りも手伝い、何不自由なく過ごしています。 私の残りの人生は、かつての「郭林先生」と同じように病気で苦しむ人達のために尽くしたいと考えています。


張元利さん 63歳 卵巣癌(癌歴33年)
張元利さん
張元利さん 63歳 卵巣癌(癌歴33年)

私は北京市の高校教師です。 1978年2月に卵巣癌の手術を受け、その後今まで一度も再発、転移はしていません。 毎回の各検査値もすべて正常です。 1966年、私は高校を卒業し、大学への進学を希望していましたが、文化大革命のために大学へは進学できませんでした。 文化大革命が落ち着いた1977年、私は教育大学を受験し、合格率10%の狭き門でしたが合格することができ、とても喜びました。 しかし、入学後の健康診断で腹腔内に20cm大の腫瘍が見つかりました。 直径25cmの腹腔内のほとんどのスペースが腫瘍で埋め尽くされていました。 私は、すぐに北京市人民病院に入院し手術を受けました。 摘出した腫瘍の重さはなんと3.75kgもありました。 私は10年前に拒食症を患っていて、虚弱体質で、不眠症もありました。 毎晩よく眠れず、まったく食欲もなく、学校までの20分の道のりの間、私は何度も休まなければならないほど体力は落ちていました。 よく風邪を引き、寒さに弱く、その上私は菜食主義者で肉を食べなかったので身体はいつも冷えていました。 そんな状態で、手術後の1クール目の抗癌剤治療が始まりましたが、それがとても苦痛で、ご飯を食べることができず、何も吐き出すものがないのに頻繁に嘔吐しました。 髪は抜け落ち、39.5度の高熱が続きました。 解熱剤を飲んでも熱は下がらず、どんなお薬を処方してもらっても、気分が良くなることはありませんでした。 その時、「もう私は死ぬのだろう・・・」と思ったぐらいです。 当時30歳、「人生これからなのに」と思うと、とても悲しくて涙がとめどなく流れました。 そんな日々が続き、ある日テレビのニュースで、ある公園の中に癌を治すために考案された新気功の「郭林気功」というのを学べるところがあることを知りました。 私は体力が無く、公園までの道のりは遠く、毎日通って気功を学ぶ自信がありませんでしたが、とりあえず公園へ行ってみることにしました。 そして、試しに何日か「郭林気功」を学んでみたところ、徐々に体調が良くなっていきました。 更に続けて気功の練習を続けると、ある日突然食欲が沸き、2つのシャオピン(焼餅)を食べてしまい、自分自身でも驚いてしまいました。 その後、更に食欲は増し、1食でも抜くと、とてもお腹が空き毎回の食事がとてもおいしく、またよく眠れるようになり、足どりも軽やかで、何よりも気持ちが上向いてやる気が出てきました。 そのうち、意外にも私は家事の主力になっていました。 脳血栓の父と94歳になる母の面倒をみ、弟夫婦の子供達の面倒もみました。 私は小さいときから副鼻腔炎の持病があり、冬にはマスクを外すことができません。 マスクをしていても鼻水が出て、鼻はつまり、頭はもうろうとしました。 しかし、「郭林気功」を練習するうちに、いつの間にか副鼻腔炎も完全に治り、快適な毎日を過ごすことができるようになりました。 1983年10月には、私は学校への出勤し始めましたが、「郭林気功」の練功は1日も欠かさず毎朝40分、1984年の1月まで続けました。 その後は「郭林気功」の練功をお休みしました。 すると数年後、私は胃の不調を感じるようになり、吐き気がして、お腹は膨れてきたので、病院で検査を受けたところ、慢性胃炎と診断され、毎日漢方薬をたくさん飲みました。 しかし、漢方薬はほとんど役に立ちません。 毎年、冬から翌年の5月ごろまでの間、胃は我慢できないほど痛み、どんどん悪化していきました。 これは大変だと、1993年10月から私はまた「郭林気功」の練功を始めました。 その時の私の学習班は国際気功のシンポジウムへの「郭林気功」の提出資料を作成していて、私もお手伝いをしました。 作業はとても忙しくて、寝るのは毎晩夜12時以降で、毎朝5時には起きて気功の練功をしました。 それでも胃炎を完治させることができ、「郭林気功」が胃炎にも良い効果があることがわかりました。 現在では身体も丈夫になり、食欲もあり、日常生活に問題はありません。 私がこれ程までに回復できたのは、西洋医による外科手術と漢方薬、そして何よりも「郭林気功」の練功のおかげだと感謝しています。


岳家彦さん 81歳 胃癌(癌歴24年)
岳家彦さん
岳家彦さん 81歳 胃癌(癌歴24年)

1987年、健康診断の胃カメラ検査で胃の中に卵大の腫瘍が2つ見つかりました。 病理検査の結果は胃癌で、北京大学病院で手術を受けました。 胃を5分の4切除しましたが、その後リンパ節に転移し、抗癌剤治療を受けました。 その頃、入院中に「地壇公園で癌を治すことのできる「郭林気功」というのを学ぶことができる」という話を聞きました。 しかし、化学療法を受けたあとは、私の体力は落ちて歩く力がありませんでした。 胃もほとんどを切除しているので食事も摂れず、ボーとしていました。 そんなある日、1989年、連れ合いがボーとしている私を大八車に乗せて地壇公園へと向かったのです。 私は気力を振り絞って気功を学び、1ヶ月経ったころ、意外にも物を食べることができるようになったのです。 その後も私は、毎日欠かさず「郭林気功」の訓練を続けました。 病院側は、私の余命は短いだろうと追跡調査を行っていましたが、5年生存したことに驚いていました。 その後、10年、20年、そして再発も無く今に至っています。 その上、以前患っていた低血圧症もいつの間にか治っていました。 私が採用した治療プランは「漢方医による漢方の処方」、「抗癌剤治療」、そして「郭林気功」の三結合でした。 特に郭林先生が考案された「郭林気功」の効果は大きく、「私の運命を救ってくれた」といっても過言ではありません・・・


趙成さん 79歳 肝硬変(病歴37年)
趙成さん
趙成さん 79歳 肝硬変(病歴37年)

私は小さい時から生まれつき身体が弱くて、中年までに数々の病気にかかりました。 初めは胃潰瘍で、手術をしなければならなかったのですが、この時私は「古典静気功」の練功を始めました。 その結果、胃潰瘍は全快しました。 しかし、次は肺疾患を患い、これは比較的に長くかかりましたが、これも何とか「古典静気功」の練功で乗り切りました。 その後、文化大革命が始まり、私は五七幹部学校に勤めるようになりましたが、そこで私は肝炎を患いました。 その時、前の肺病がまた再発したのだと思って精密検査を受けませんでした。 その結果、適切な治療を行わず対応が遅れてしまいました。 私は、また「古典静気功」の練功で何とかなるだろうと、五七幹部学校から帰ると、毎日「古典静気功」の練功を行いました。 しかし、病状は私の想像以上に進んでおり、一生懸命に稽古をしているにもかかわらず、あまり効果はなく、その上すでに肝硬変の初期段階へと発展していました。 そんなある日、近所の人が「公園に郭林というおばあさんが居て、そのおばあさんの教える「郭林気功」というのが、慢性病にとても効果があるそうだよ!」と教えてくれました。 私は少し覗いてみようと公園の中にある「郭林気功指導センター」に行ってみました。 そして、みんなに合わせて練功を始めてみました。 ところが良く聞いてみると、病状によって練功の内容が違うのだそうで、私は郭林先生を紹介してもらい、その後は郭林先生の指示に従って練功を行いました。 郭林先生は私の病因を分析し、重要な原因をいくつかあげました。 その主要な原因は精神的な問題で「情緒に鬱憤が溜まっている」というのです。 先にこの鬱病を完全に治さないと練功を続けても、それ程の効果は得られないというのです。 そして、そのことを改善するために私は「生活環境」を改善しました。 私は五七幹部学校を止め、町工場の作業員として働くように職場を変えました。 すると、まず気持ちが楽になり、ストレスが減少したように感じました。 しかし郭林先生は、「まだ心の中に大きなしこりがあり、それらを全て取り除かなくてはならない」と私にいい、呼吸を整え、全身の経絡を疎通させる功法を教えてくださいました。 そして、その時の私に最適な功法として「定歩功」を教えてくださいました。 その後も郭林先生は私のために功法を細かく調整し続けてくれました。 私は1年間離職して休養をとり、そして精密検査を受けたところ、主治医は「肝臓はまだ大きく腫れているが、肝硬変化は進んでいないようだ」と検査結果を話してくれました。 その2年後にまた検査を受けたところ、肝臓は正常な大きさに戻っていて、やっと「肝硬変」の病から解放されたのでした。 私はこれからも手を抜くことなく「郭林気功」の練功を続け、養生に努めていきたいと思っています。


貢登さん 年齢不明 食道癌(癌歴5年)
張元利さん
貢登さん 年齢不明 食道癌(癌歴5年)

私は内モンゴル自治区に住んでいますが、2006年に食道癌と診断され、北京友好病院で手術を受けました。 手術後は、放射線治療と抗癌剤治療を行いました。 ちょうど、放射線治療と抗癌剤治療を始める時、北京公園の中に「郭林新気功」とういう抗癌気功を教えている所があることを聞きました。 私は2回、早朝に見学に行き、それから「郭林新気功」の本とビデオを購入しました。 自宅は北京から遠いので、私はこれらの教材を利用し、頑張って独学で「郭林新気功」を学びました。 「郭林新気功」の訓練を始めた時は歩くこともおぼつかなかったのですが、数ヵ月後、体調が明らかな好転するのを感じました。 まず、よく寝ることができるようになり、体力が向上しました。 しかし、まだ食欲はあまりありません。 そこで、「郭林新気功」の訓練と組み合わせて漢方薬を飲むようにしたところ、更に体力が向上し、食欲もでてきました。 もちろん、睡眠も十分取れるようになりました。 その上、毎回の検査結果でも特に怪しい場所は見つかりませんでした。 以前、私は血圧が高く心筋梗塞の持病もありました。 2004年に危篤状態になり、緊急措置で救われた経験があります。 それほどに酷かった持病でしたが、今では血圧は正常で心臓の状態も普通の人と変わりません。 毎年の病院での検査と健康診断でも、各項目はすべて正常値です。 食事がおいしくて、毎日よく眠ります。 記憶力もずっと良くなり頭もよくまわるようになりました。 今ではパソコンの操作方法などを学んで、ネットサーフィンを毎日楽しんでいます。 今まで私は5年間「郭林新気功」の訓練をやってきましたが、その病気を治す力には本当に驚き、感謝しています。


何守財さん 63歳 胃癌(癌歴23年)
何守財さん
何守財さん 63歳 胃癌(癌歴23年)

私は学校の保衛科で働いていますが、1988年7月に胃の痛を感じ、腰痛も感じるようになりました。 それから吐血するようになり、血便も出始めました。 最終的に、北京朝陽病院と遼寧省腫瘍病院で胃癌と診断され、その年の9月に手術を受け胃を切除しました。 病理検査の結果では「胃腺癌」で、ステージVということで手術後は抗癌剤治療を受けることになりました。ちょうどその頃に、私は「郭林新気功」にめぐり合い、お陰で今は健康で、こうして皆様の前でお話できることにとても感謝しています・・・


孫雲彩さん 74歳 乳癌(癌歴31年)
孫雲彩さん
孫雲彩さん 74歳 乳癌(癌歴31年)

1980年12月、突然右乳房にアヒルの卵ぐらいの大きな硬いしこりに気づきました。 そして、北大病院で診察を受けたところ、乳癌と診断されました。 5×5cm大の癌が見つかり、脇の下のリンパ節にも転移していました。 1981年3月から「脇の下、鎖骨、右胸」に対し放射線を40日間照射しましたが、1981年5月には、左乳房にも1.5cmほどのナツメ大の塊を見つけ、局部麻酔での腫瘍の摘出手術を受けました。 その後、1981年9月からは、5FUの抗癌剤治療を2ヶ月行い、さらに翌年5月からまた5FUの抗癌剤治療を2ヶ月行いました。 しかし、その後6月のレントゲン検査で右胸の第5胸骨の間に直径2cmの影が見つかり、再発が疑われましたが、抗癌剤治療後は、白血球が3500ぐらいで、血小板は70000ぐらいと低くて、めまいがし、しかも胃炎があり眠ることができませんでした。 かなり深刻な状態で、再び抗癌剤治療を受けることができませんでした。 そこで私は決心して、広安門の漢方病院腫瘍科の主任の処方する漢方薬を服用するようにしました。 この煎じ薬を5年半、一日も休まず飲みました。 当初、癌の再発、脅威にさらされる毎日でしたが、1982年7月、「北京文学」という雑誌に有名な作家「柯岩」により書かれたドキュメンタリー「癌症≠死亡」というのが掲載されているのを見つけ、心の中に明かりが灯り、希望を持つことができました。 困惑する中、私は「郭林先生」「郭林先生」に助けられ癌を克服した「高文彬」さんを必死で探しました。 そして、ようやく彼らを探し当て、彼らに付き添って「郭林気功」を学びました。 春夏秋冬、雨風霜雪、関係なく毎日公園の中で「シ・シ・フー」と練習を続けました。 午前中は3時間「行功」の訓練をし、昼寝をした後に「手棍功、脚棍功」を行い、不眠症を改善するために「頭部按摩」も日に2度行いました。 さらに、夕方には水泳も学んで、1年後には寒中水泳も行うようになりました。 1年365日、毎日2度は公園で「郭林気功」を行い、夕方は泳いで、規則正しい生活を送りました。 毎日、時間通りに薬を飲んで食事をし、生活を楽しむようにしました。 そして8年後、病院での検査結果は正常で胸の影も消えていました。 「郭林気功」のお陰で、体力は増し、食事はおいしく、睡眠もしっかり取れるようになり、まるで30代の若さに戻ったようです。 私が癌と闘うために重視してきたことをまとめてみますと、次のようになります。

(1) 「癌に打ち勝って健康を取り戻す」という強い意志を持つこと!
(2) 規則正しい生活を送ること!
(3) 弛まず努力を続け、「郭林気功」を練習すること!

1990年、私は「高文彬、于大元、張秀蘭」等と共同で『北京八一湖抗癌樂園』を設立し、癌患者を「郭林気功」によりサポートする体制を築きました。 1993年には「于大元、周世彬、姜培剛、何開芳、楊攪a」等と共同で『北京抗癌樂園』を設立し、現在も各地を講演でまわり「郭林気功」による癌患者のサポートを続けています。私の願いは、1人でも多くの癌友が「郭林気功」を学び、そして彼らが健康を取り戻すことです。 これからも、「癌」で苦しむ人達の力になれるよう、毎日頑張って努力を続けたいと思います。


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